共愛学園高等学校
自分発見ができる子どもたちを見守ります
自分発見ができる子どもたちを見守ります

共愛学園中学校通信 No.04 発行(教頭)

文章 中学教頭 阿部 智
~中3ハワイ修学旅行その1~
今年も3泊5日の日程で共愛中学3年のハワイ修学旅行が実施されました。大半の生徒が初めての海外、初めての飛行機泊でしたが、元気にまた有意義に過ごして来ました。初日28日(日本とは19時間の差)米国は戦没者を偲ぶメモリアルデイで、疲れと緊張の中、真珠湾のアリゾナ記念館を訪問し、改めて平和に思いをはせました。太平洋戦争の原点が真珠湾です。1941年12月7日(日本は8日)に日本軍の奇襲攻撃により太平洋戦争が始まり、そしてこの戦争は1945年8月の広島・長崎の原爆で終結しました。アリゾナ記念館は、日本軍の奇襲により撃沈し、今も1100名の兵隊が眠る戦艦の上に建てられました。海底の戦艦からは77年もの間、今も「油」が流れ出ています。今年は桟橋工事のために上陸できなかったので、船内からの見学となりました。また、真珠湾には戦艦ミズーリも停泊しています。1945年9月8日、日本はこの戦艦の上で無条件降伏文書に調印したのです。つまり、真珠湾には、太平洋戦争の始まりと終わりを見ることが出来るのです。
またアリゾナ記念館には「禎子(さだこ)の鶴」が飾られています。2歳の時に広島で被爆をし、12歳の時に白血病で亡くなった佐々木禎子さんは、広島平和公園にある「原爆の子の像」のモデルです。そして、高校生までハワイで過ごしたオバマ前米国大統領は、この「禎子の鶴」の話しをずっと覚えていて、2年前の5月に米国大統領として初めて広島を訪れて、自身で折った鶴を飾り、平和を祈ったのです。

~これからの予定~ 必ず確認しましょう 
 6月 9日(土) 休業土曜日
   11日(月) GTV撮影(当初8日でしたが変更になりました)
   12日(火) Gセミナー時間 午前土曜授業/午後通常授業
   14日(木)~15日(金) 中1フレッシュマンキャンプ 中2尾瀬キャンプ
   16日(土) 休業土曜日
   21日(木) 土4 6h生徒総会 
23日(土) 授業土曜日 中学ベタニア環境整備
   25日(月) 6h:行進練習
  28日(木) 土1 6h:行進練習
  30日(土) 期末テスト~3日(火)
 7月 3日(火) テスト終了後 行進練習
    4日(水) 中体連総合開会式(中3中2行進、中1スタンド観戦)
         学校から敷島総合グランドまで往復バスで、一日指定体育着となります。

~中3ハワイ修学旅行その2 ~
宿泊はワイキキビーチに近い「ワイキキリゾートホテル」で快適に3日間過ごしました。2日目朝はダイヤモンドヘッドに登りました。今年は曇りでしたが風が心地よく、頂上に登ってもワイキキビーチを眺めることが出来ました。下山してからはホノルル市内で日系人教会として良く知られるマキキ教会を訪問しました。この教会は1904年、高知出身の奥村牧師によって始められ、1932年に彼の故郷にある高知城をかたどった教会堂が建てられました。この5月から牧師が今までの具志堅牧師から藤波牧師に代わりました。マキキ教会は日系人をはじめ多くの方々が集う教会となっています。教会では大歓迎を受け、フラの賛美や障がいのある絵作家、浅井力也さん親子の感動的なお話しを伺うことが出来ました。私達も滝廉太郎の「花」を披露し、共に賛美歌を歌いました。
訪問の後はオアフ島北東部にあるテーマパーク、ポリネシアンカルチャーセンターで夜まで過ごしました。ハワイ、サモア、フィジー、マオリなど太平洋諸島の文化に触れたりして楽しむことが出来ました。ディナー後のポリネシアを題材とした80分のショーも、生バンドの演奏の中、様々なダンスやファイヤーショーなどが披露され、迫力あるステージをみんなで堪能しました。
そして3日目。いよいよ英語力を試すBBSプログラムです。現地の大学生と班別で半日過ごす中で、自分の英語がどれだけ通じるのかを各自体験しました。そして最後のプログラムがワイキキビーチでの海水浴です。さすがに強い紫外線でしたが、青く美しいハワイの海をみんなで存分に楽しみました。皆で協力して
楽しく充実した5日間を過ごすことが出来ました。

~共愛中学生の活躍~
空手 第27回群馬県中学校空手道大会
   男子 団体組手  敢闘賞 田沼龍弥1b   正木聡一郎1b
陸上 群馬県中学校春季競技大会
   男子2年100m 第3位 大渕空良2a
   女子共通200m 第8位 原田果歩2b
   男子1年走り幅跳 第7位 舩戸勇朋1a
体操 群馬県中学校春季大会
   体操女子団体総合 第5位 小林あやの3c 豊田未来3b 矢内琴葉3a 星野彩1a
第22回群馬県ソロコンテスト中学校金管の部 銅賞 大久保子徹3b

~中学アッセンブリーから~ 
  5月17日(木)のアッセンブリーでは中2の代表生徒に5月11日に行われた福祉講演会を通しての感想文を発表してもらいました。パラ水泳メダリスト「奈良恵里加選手」の講演を聞いての感想文です。それぞれ自分の言葉で考えたこと、また気付かされたことをしっかりと述べてくれました。

「福祉講演会(5月11日)を通して」
2年a組 金井 心菜
  「努力で長所を発見できたり、努力で夢が見えたりする。」この言葉は福祉講演会で、パラリンピック水泳日本代表の奈良恵里加選手が言った言葉で、とても印象に残った言葉です。奈良恵里加選手は、「脳性まひ、立つことも歩くこともできない。」と病院で言われ入院を余儀なくされました。入院中にはいろいろな辛く過酷な訓練を受けましたが、三歳でハイハイ、四歳でつかまり立ちをし、ご両親は泣いて喜ばれたそうです。そして、小学校の頃には歩いて学校へ行くこともあったそうです。私は、赤ちゃんがハイハイをし、つかまり立ちをして歩き出し、小学生が学校へ歩いて通うということは、当たり前だと思っていましたが、奈良恵里加選手にとっては、当たり前ではなく特別なことだと思いました。また、奈良恵里加選手の「金メダル」をもたせてもらいました。テレビで授与されている場面は見ていましたが、実際にメダルをもたせてもらえたことに、とてもうれしかったです。そのメダルは、思っていた以上にずっしりと重く、奈良恵里加選手の努力が詰まっているのだと感じました。私にとって2020年の東京大会は、少し特別な思いで迎えられそうです。大会出場に向けて頑張っている奈良恵里加選手を応援したいです。私は頑張っても上手くいかないと、あきらめてしまうことがあります。今思えば「頑張ったけど、努力したのかな?」と、自分自身に問いかけてしまいました。
 奈良恵里加選手のように、小さな努力を重ね、小さな夢を見つけ、その小さな夢から世界を目指す大きな夢へと育んでいった努力にとても感動しました。私は、当たり前なことに感謝できる人になりたいと思いました。
そして、頑張るだけではなく、努力できる人になりたいです。

「福祉講演会(5月11日)を通して」

2年c組 江原 美月
私は、奈良選手の話を聞いて、少し考え方が変わった気がしました。特に心に残った話がいくつかあります。一つ目は、不可能と言われたことを実現したというすごさです。奈良選手はお母さんのお腹にいたとき、羊水を大量に飲んでしまったことにより、障がいが残ってしまいました。そして病院の診断により、歩くことや立つことすら出来ないと言われたそうです。しかし、お母さんは奈良選手が歩けるようになることを願って訓練させたそうです。奈良選手のお母さんが歩けるようになるのをあきらめなかったおかげで今、奈良選手が歩けるようになったと思いました。また、病院でリハビリを小さい頃からしていたそうです。そのリハビリはとても痛くて辛かったそうです。しかし、努力をして訓練を続けたそうです。私は、痛いこと、辛いことを続けられる自信がありません。また、すぐにあきらめてしまいます。しかし、奈良選手がこの話をしてくださって、辛いこと(訓練)
を続け、また努力し続けたら、出来ない事も出来るようになることを学びました。なので、私は奈良選手みたいに辛いことを続けられるように努力したいです。
二つ目は、「水泳は私の生きがい」という言葉です。私は何かを言えるのはかっこういいなと思いました。私もこれから、いろんなことにチャレンジして生きがいだと思えるものを見つけたいです。しかし、奈良選手はそんな生きがいも辛いと思ったことは何回もあったと言っていました。しかし、コーチや家族などの励ましのおかげで乗り越えられたと言っていました。三つ目は「水泳は嫌いだった」と言う言葉です。私は好きで始めた水泳だと思っていたら、リハビリのための水泳だったそうです。最初は水も苦手で、水泳もとてもきらいだったそうです。しかし、奈良選手は好きにしたのは自分自身と話されました。好きになったのは誰かの力ではなく、自分でなったことに驚きました。水が嫌いなのに、それを好きになるのはとてもすごいと思いました。私だったら嫌いなものを好きになることは出来ません。しかし、奈良選手は自分で苦手を克服しました。私も好きじゃない勉強をすきなれるようにしたいなと思いました。そして最後にパラリンピックのメダルを触らせてくれました。私はメダルを触らせてくれると知って、早く触りたいと楽しみにしていました。私の列にメダルが回ってきたときにはとても緊張しました。そして、自分の番にきた時、重いなと思いました。そして自分も種目は違うかもしれないけれど、このメダルをとってみたいなと思いました。奈良選手は、このメダルが欲しかったら自分で取ってくださいと言っていました。自分もこんなことを言ってみたいなと思いました。私が触らせてもらったのは銅メダルだったけれど。努力の成果はメダルの色と言われたとおり、この銅メダルにも奈良選手の努力が詰まっているのだなと思いました。東京パラリンピックでも努力のメダルを取ってもらいたいです。

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