共愛学園高等学校
自分発見ができる子どもたちを見守ります
自分発見ができる子どもたちを見守ります

共愛学園中学校通信 No.12 発行(教頭)

文章 中学教頭 阿部 智

~市民クリスマスから~
 2017年12月16日、風もなく穏やかな夕刻となりました。今年も1100名を越える多くの方々をお迎えして、市民クリスマスが大礼拝堂にて行われました。第一部のキャンドル・ライトサービスでは、天使役の中学生・高校生に導かれて、高校聖歌隊と中学ハンドベルの生徒達がローソクを手にクリスマスキャロルを歌いながら入場し、天使たちのリードで1100名全員がキャンドルに明かりを灯しました。共にクリスマスの賛美歌を歌い、また祈りを捧げました。第一部でのお話は望月先生でした。1914年12月、第一次世界大戦中での実話からです。敵対し合っていたドイツ軍兵士とイギリス軍兵士は、戦場の前線で銃を構えて寒い冬を迎えていました。するとドイツ側から「きよしこの夜」の歌声が流れて来ました。これに応えるようにイギリス軍も英語で「きよしこの夜」を歌って返し、両者は銃を捨てて交流を始め、そしてクリスマス休戦を実現させたのです。キリストは、私達誰もが、豊かな者も貧しい者も、敵対する者も、互いの心がつながるように、ユダヤの貧しい家畜小屋でお生まれになったのです。キリストの誕生を通して、羊飼い達、東方の博士達、マリヤとヨセフなどみなの心がつながったのです。私達も「平和の君」と呼ばれたキリストにように、人々の心がつながることが出来るように歩みたいと思います。第二部は高校宗教委員、中学1年生キャスト、聖歌隊、ダンス天使による生誕劇、ページェントが演じられました。そして、ページェントの最後には聖歌隊長の指揮と吹奏楽部の伴奏によって参加者全員で「ハレルヤコーラス」を大合唱しました。

~これからの日程~(確認しましょう)
  12月 21日(木)午前:土曜授業 5h土曜2h 6h全校クリスマス練習 
     22日(金)終業式/学園クリスマス  ※教頭面談 22日(金)/25日(月)
     23日(土)~1月5日(金)冬季休業
   1月  6日(土)第3学期始業式
       7日(日)高校推薦入試
       8日(月)高校学業特待入試
       9日(火)家庭学習
      10日(水)中3月例テスト、中1中2実力テスト 6h通常授業
      11日(木)午前放課 午後高校入試判定会議
      12日(金)冬休み代休
      13日(土)休業土曜日 大学入試センター試験~14日(日)
      20日(土)第二回中学校入試 ※中学生は家庭学習
      21日(日)第3回英検一次試験

~2017年度校内読書感想文コンクール表彰~
11月21日(火) 2017年度校内読書感想文コンクール表彰が行われ、中学校より最優秀賞に2年a組の大塚翼君、優秀賞に2年a組の設樂若菜さんが選ばれ、表彰を受けました。また、高校生は最優秀に3年B組の加藤紫世さん、優秀賞には3年S組高橋美貴さん他8名が表彰されました。

自由「見えるもの見えないもの」    ( 著名:道 著者:道尾秀介 )
                                    大塚 翼2年a組
 和やかな朝の光に包まれて目覚める朝、眩しい光に目を細める昼、刻々と色を濃くしていく夕焼け、薄いカーテンを透かして差し込む月の光。光というものが存在しているということを知ったのはいつの頃だっただろうか、と思い返すことをほとんどの人はしないと思う。光とは、秒速約三十キロメートルで進む、しかし目でとらえることも出来る。今よりも幼い頃、音は見えないのにどうして光は見えるのだろうかと疑問を抱いたことがあった。今振り返れば馬鹿らしい疑問だが、当時の僕にとってはとても素晴らしく世界を揺るがすような発見だと思っていた。
 僕は中学生だ。子どもと言われたらそうだが、大人と言われればそうだとも言いうる、中間地点にいる。大人になったらどんな自分になるのだろうかと思い描いた経験は、数え切れないほどだ。どんな仕事に就いてどんな家に住むのだろうか。結婚するのか、しないのか。そして、人生の最期にはどのような死を迎えるのだろうか。大人の見ている世界を早く見たくて、いつも背伸びをして子どもながらに頑張っていたことを思い出させてくれたのがこの物語であった。本の中では、子どもにしか味わえない特別な時間と空間、感情が描かれており、絶望の淵に堕ちたときには友人と手を取り合えば助け合えるという小学生ならではの物語だというのが、本を閉じた後の素直な感想だ。
 幼稚園に通っていたときは、通る道全てが遠く、知らない場所は全てたどり着くのも困難に思われ、やったことがないもの全てがひどく難しかった。しかし年齢を重ねるたび、徐々に徐々にそういった感情は薄くなり、瑞々しい反応をするのは極稀なことになっていった。今となっては友人と休日に遊ぶことは中々ないが、小学生のときは暇さえあれば大抵友人と誘い合って遊びに行っていた。素直な気持ちで笑えなくなったのはいつからだろう。大人になると笑う回数は減る、子どもと違って。両親が言うには、小さい頃僕は今よりもっと笑っていたそうだ。しかし中学生になった今、この本の主人公のような、つまり思ったことを素直に口に出せるような度胸を僕は無くしてしまった。「大人」に近づくたび、子どもの部分はどんどん変わっていってしまう。それは生活環境、友人関係、個人の価値観のあり方など様々だ。だからこそ、少年時代の驚きや発見は大人になっても鮮明に自分の中に息づくと文中にはある。いつか大人と呼ばれる歳になったとき、過ぎていった記憶を振り返ることが出来るように今を過ごしたいと、中学生の僕は思う。
 物語の終盤、主人公達は命の危機にさらされてしまう。その時に彼らはなぜ自分達の命が奪われなくてはならないのか理解することができなかった。生きる上で知識を持つことは必要不可欠だが、同時に知識の幅を広げそれが手におえなくなるときの恐ろしさも同時に痛感させられた。
知識を得たことで人間は進化を遂げてきた。しかしその知識が暴走した昭和二十年のヒロシマやナガサキの原爆に繋がったと思うと正直やるせない。知識によって、人は自分の人生も他人の人生も左右することが出来る。しかし知識によって他人の人生を奪ったとき、そのときは自分の大切な何かを引き換えにしているのだと自覚しなくてはならない。
 「もし本当に綺麗な、眩しい光に出会いたいと思うなら、いつでも目を開けていなさい。」これらの言葉には、「人生に起こることから目を背けるな、どんなことも受け止めなさい」という作者のメッセージが込められているのではないだろうか。どんなものを綺麗とし、また眩しいとするかは十人十色であろう。自分にとって忘れられないものなのか、それとも誰かに話したくなるものなのか。聖書の一節のように、見えるものよりも見えないものに目を注ぐ。それは、難しいことだが、案外そうしたときに初めて本当の光を見られるのではないだろうか。自分にとっての光は、実は自分の身近に存在しているのだ。大人になったとき、僕は光が見えているだろうか。自分の子どもに光を教えられるような大人になりたいと強く思わされた読後であった。

~演劇部自主公演から~
今年度の自主公演は12月17日(日)に行いました。20名ほどのお客様にきていただき、日ごろの成果をお見せする事ができました。
演目1つ目「あはれ!名作くん」は、短いながらもセリフの中にある「可笑しさ」を伝える難しさを感じました。照明や音響とのバランスも考えながら作り上げていきました。演目2つ目「キセキの呪い」は、予告編として短いものを演じました。またどこかの機会に完成版をお見せできたらと思っています。また、今回の自主公演では、高校生の演劇部の先輩方に大変お世話になりました。今回の反省をふまえ、来年度より良い演技につなげて行きたいと思っています。
ありがとうございました。

~防災備蓄食料配布に関して(12月21日(木)配布)~
 共愛学園では災害対策用の飲料水と食料(ドライトカレー)5500食分を備蓄しています。今回3年また5年に一度の備蓄食料品の入れ替えに伴い5500食分を近隣の駒形・小屋原地区(配布済み)、生徒、教職員等に配布いたします。この配布を通して日ごろから防災(地震、台風、大水等)意識をしっかりと持ってほしいと思います。

~収穫感謝祭礼拝から~
  12月7日のアッセンブリーは中学1年生による、11月22日に行われた収穫感謝祭の感想文発表でした。
 6名の1年生が代表して発表しましたが、感想文の内容もそれぞれ充実していました。

「収穫感謝祭礼拝から」                         1年a組 竹本 駿太

 今日は、収穫感謝祭礼拝があった。まず僕は収穫感謝祭というのを知りませんでした。今回いらっしゃって下さった先生の話を聞いていたら、今から400年程前にキリスト教の信者達がメイ・フラワー号に乗って新大陸にやって来て、キリスト教を広めようとしていたが、すぐに冬がやって来て、冬の厳しい寒さで半分以上の人が亡くなってしまいました。そして、先住民の人達に助けられて冬を乗り切りました。やがて季節が過ぎ秋になって
初めて作物が収穫できたことが感謝祭の始まりでした。それにちなんで今日の聖書の箇所に「神は愛です」という言葉があったんだと思います。普段、何気なく作物を食べていましたが、今回の礼拝で作物に対する感謝の気持ちが増えたと実感しています。なのでいつも食べない作物ももっと食べてみようと思うことができました。僕は今回来てくださった先生の話を聞き感じたことは、冬の寒さに苦しんでいた信者達を助けた先住民の人達だと思いました。自分が知らない人を助けるなんて、もしかしたら襲われるかもしれないし、もしかしたら殺されてもおかしくなかった状況だったのに、それでも暖かく迎え入れてくれた先住民の人達にとても憧れます。自分の食料も与えたそんな心の優しさが伝わります。賛美歌は「感謝せよ、主に」を2回歌いました。聖書の「神は愛ですにぴったりな賛美歌でした。聖歌隊の合唱もとてもきれいで、ハーモニーが良かったです。ステージに飾られていた長ネギやチンゲン菜、レタスなど色とりどりの野菜がとてもきれいでした。今回の礼拝を通して学べたことは何気なく食べている作物を改めて大切にしようと思うことができました。毎日食べる作物に感謝して食べたいです。

「収穫感謝祭礼拝について」                   1年c組 山洞 奏子

 今日は収穫感謝礼拝がありました。大礼拝堂につくと、演台の前に、たくさんの野菜が並べてありました。収穫感謝祭は、作物の無事の収穫を祝うための行事だそうなので、こんなにたくさん野菜が並べてあるのも、神様と農家の人のおかげなのかなと思います。礼拝が始まり、前奏のオルガンの音色を聴き、心を落ち着かせました。
その後、賛美歌を歌い、聖書を読み、祈りました。祈る時に、きちんと心から祈らなければならないような気がしました。それは、今まで私たちが食べ物を食べ、生きてこられていることは、全て作物がのびのび育って、収穫されているおかげだと思い出したからです。次に、聖歌隊の合唱を聴きました。聖歌隊の人たちの歌声は、私たちが普段歌っている賛美歌の歌声とは違い、頭と心に通りぬけるように響いていました。そこで、私ももっと
美しく歌わなければと思いました。その次には、牧師の藤田基道先生のメッセージを聴きました。メッセージの題は、「愛と命」で、愛と命の関係性について、話してくれました。今回の藤田先生のメッセージで感じたことは、苦手だと思ったり、嫌だと思う人のことも、しっかり受け入れようということです。全ての人間を受け入れるということは、命を守ることにつながることを、先生は話していました。それは、敵対していた人間も受け入れなければいけないということでした。支倉常長という偉人が、一緒に外国に渡った仲間と、以前敵対していた
外国人と助け合い、作物を育てたそうです。敵対していたとしても、一緒に助け合い、素晴らしい作物を育てたように、私も、苦手な人とも協力して、これからの学級活動に取り組んでいきたいなと思いました、そうすれば、今後出てくる難題や困難があったとしても、協力しあうことで、超えていけると思います。
                                            

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