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中学校通信
- 2017.09.01
共愛学園中学校通信 No.06 発行(教頭)
文章 中学教頭 阿部 智
~第54回前橋市中体連総合開会式行われる~
7月6日(木)梅雨の合間の暑い中、共愛学園中学3年2年生全員が中体連総合開会式で行進を行いました。共愛中学は第六番目の入場で体操部の優勝旗を先頭に元気良く入場しました。市内23校5400名の中学生が敷島の総合グランドに集合し、これから開催される各競技に向けて互いの健闘を誓い合いました。
※校旗を持っているのは全国大会出場を決めている陸上の金子翔音(3a)君、プラカードは布瀨川 桃子(3b)さん、そして体操優勝旗を持っているのが木村花音さん(3b)です。
~共愛学園中学校の活躍~
前橋市中体連
水泳 清水優妃2a女子400m自由形第3位、800m自由形第5位:県大会出場
尾内咲穂1c女子100m平泳ぎ第4位、200m平泳ぎ第5位:県大会出場
三浦唯1c女子100m背泳ぎ第6位
中川瑛介3b男子50m自由形、100m自由形で県大会出場
体操女子団体 準優勝 木村花音3b 矢内琴葉2a 豊田未来2c 藤田あまね1b:県大会出場
第63回全国中学校通信陸上競技群馬県大会
金子翔音3a男子3年100m第2位(全国大会参加標準記録突破) 110mハードル第1位
柳田花歩3a女子100mハードル第6位
~これからの予定:かならず確認しましょう~※中体連競技日程は前回号を確認して下さい。
20日(木)終業式 ※オーストラリア研修保護者会13:00
21日(金)三者面談~31日(月)
22日(土)~23日(日)中体連 バドミントン、卓球、陸上競技、吹奏楽部コンクール
24日(月)~26日(水)修養会(軽井沢)
29日(土)第一回共愛中学オープンスクール14:00~
31日(月)~8月14日(月)オーストラリア夏季短期留学(中3)
30日(日)群馬テレビ私立中学校通信GTV放送19:00~※再放送8月3日(木)15:30
8月 1日(月)~7日(月)指名補習
5日(土)~6日(日)広島平和記念式典参加(高校生普進有志・中学校3年有志)
10日(木)登校日:Gセミナー・中3月例テスト ※弓道部関東大会
~中学アッセンブリー(6月22日)から~
「花の日礼拝(6月7日)を通して」 3年b組 髙松 舞羽
今日は花の日礼拝でした。毎年楽しみに選んでお花を持って来ている私は礼拝堂にたくさんのお花が並ぶのをとても嬉しく思っています。たくさんのお花が並んだステージの上、いつも礼拝堂のはじの方にあるピアノが中央にありました。そして、そのピアノで素晴らしい演奏を聞かせて下さったのはチェソンエさんでした。初めに弾いて下さったショパンの曲はとても迫力があってひきこまれました。また、チェさんはピアノの演奏だけでなくお話を聞かせて下さいました。チェさんは21歳の時に外国人登録の指紋押捺を拒否し、再入国不許可になったそうです。チェさんは法律を破ることになると分かっていながら指紋押捺を拒否したことで、日本にいるたくさんの指紋押捺に反対している人が集まり、その反対の活動を通して現在法律が変わったそうです。私はチェさんの行動をとてもすごいと思いました。疑問に思っていたり、嫌と思っていても、それを素直に伝える事は出来ません。またチェさんの意見にたくさんの人がついてきてくれるというのはすごいことだと思います。チェさんのお話と素敵な演奏を聞けて良かったと思いました。
また、老人ホームへの訪問は、去年宗教委員で参加したため2度目でした。去年は相手の方と話をすることが出来ず、今年はたくさんお話したいと思っていました。そして、お話の時間になり相手の方はとてもたくさん話しかけて下さって楽しかったです。相手の方はだんなさんが先に亡くなられて一人でさみしいそうです。なので私と話して楽しかったと言ってくれて少しでも力になれたかなと思いとても
うれしかったです。今日一日とてもすばらしい経験が出来た一日になったのではないのかなと思いました。
~少年の主張前橋市大会(6月28日)から~
「おじいちゃんとの思い出」 宮原 もも 2年b組
楽しかったな。この一年を振り返るとその一言につきます。祖父の病気がわかったのは一年前。その時に祖父の命はもう長くないと母から聞かされました。塾の送迎や中学の説明会にも一緒に行ってくれた祖父。料理が得意で、特に唐揚げとカレーは世界でいちばん美味しいと思っています。
「私が子どもの頃もそうだったよ。大学入試もおじいちゃんがついてきてくれたんだよ」と母が話してくれました。家族のために働いて、いつも私たちを支えてくれた祖父でしたが、入院して治療を繰り返すうちに、祖父は私のことを忘れてしまいました。
「私のこと分かる?」と聞くと、首を横に振ります。母や祖母にはぼそぼそ話しますが、私が話しかけても怪訝そうな顔をしてちらっとこちらを見るだけで返事はありません。私は一人になって泣きました。いつも優しかった祖父が、話さなくなり無表情でいることも増えました。しかし、ある日の入院先でのことです。小さな声で、「お父さんも一緒に帰る。」と言いました。最期は自分の家で過ごしたいという祖父の願いを叶えるために、私たち家族は、祖父を自宅へ連れて帰ることにしました。動けない祖父が家でも過ごせるようベッドや車椅子を借りました。
そして、自宅に帰ってきた祖父に、毎朝「おじいちゃん、行ってきます。」と声をかけるうちに、次第に「行ってらっしゃい、頑張って。」と返事が返って来る様になりました。
「おじいちゃん、ただいま。」
「もも、おかえり。」
祖父は私のことを思い出してくれました。以前の祖父が帰ってきた、そんな思いでとても嬉しくなりました。自宅に帰ってからの祖父は本当に不思議な力がはたらいているかのように元気になりました。歩行器で歩いて温泉にも行きました。私がカメラを向けると、急にニッと笑ってVサインをする祖父に、みんなで大笑いしました。やがて、祖父はまただんだんと動けなくなってきましたが、ベッドサイドの小さなテーブルを家族四人で囲み、にぎやかな毎日を過ごしました。訪問入浴も利用しました。リビングに組み立て式の浴槽やポンプを運んで動けない祖父を入浴させてくれます。そこでも祖父は気持ちよさそうに笑いながら得意のVサインをしました。医師や看護師さんも自宅に来て、酸素や吸引の機器も置かれました。病院で出来ることは大体なんでも出来るといわれて、とても驚きました。毎日家族と何気ない日常を過ごしながら病院のようなケアを受けることができて、祖父だけでなく、母も祖母も
「ありがたいね。時代は変わったんだね。」
と感謝の言葉を口にしていました。
今、日本の高齢化率は二十六パーセントを超え、四人に一人が六十五歳以上ということになります。その中で七割以上が病院で亡くなり、自宅でなくなる人の割合は十数パーセントだそうです。祖父が最期は住み慣れた自宅で、と願っても介護する人がいなければそれは叶いません。母は最初働きながら祖父を看ていましたが、最後の二か月は介護休暇を取得しました。こうした多くの制度を利用して食事に出かけたり、花見に行ったり、たくさんの思い出を作ることが出来ました。母が、「こんなに家族で一緒に過ごすのって、今までなかったかもしれない。」としみじみ言いました。祖父が病気になる前の私は、家族と話したり一緒に過ごすのを何となくいやだな、うるさいなと思っていた時期でしたが、祖父が帰ってきて、確かに家族の絆が深まったような気がします。長くないと言われた通り、祖父は一年で亡くなりましたが、たくさんの方に支えられて自宅で過ごすことが出来て幸せだったのではないでしょうか。家族や友達に囲まれて笑っている祖父を近くで見てきて、心からそう思います。
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